"ドラッカーは、「企業は社会的組織である。共通の目的に向けた一人ひとりの人間の活動を組織化するための道具である。しかし、その共通の目的とするところは、企業に関わる一人ひとりの人間の目的の総和ではない。共通の目的ではあっても共同の目的ではない」と言う。
つまり、企業の目的の一つは、社会に対し経済的機能を果たすこと。その共通の目的のために一人ひとりを組織化したものが企業と言う訳だ。決して一人ひとりの目的を果たすために組織化されたものが企業ではない。
ところが、組織で働く専門家などのナレッジ・ワーカーは目的やカバーする専門領域もバラバラで、しかも一人では成果を生み出すことができない。
そこで、「顔を上に向ける」ことによって社会的機関である企業(組織)の「目的」に目を向け、互いに成果を生み出すために互いの「情報ニーズ」を聞き、理解しなければいけない。
互いの「情報ニーズ」を理解し合うことで膨大な情報量から発生する時間のロスを防ぎ、さらに指示・命令がなくとも、いつでも必要な情報が手に入るという状態が、組織の連携と一体感を生むのだ。" https://yaplog.jp/happpykarate/archive/131
2021年01月31日
2021年01月30日
No.3197プロフェッショナルの条件Part2#3貢献を重視する90F1【自らの貢献に責任をもつ人は、その狭い専門分野を真の全体に関係づけることができる】P.F.ドラッカー連続投稿世界一 3,197日目(2021年1月30日)感謝!!
"「今日では、知識を基盤とする組織が社会の中心である。現代社会は組織の社会である」とドラッカーが言う。
現代人である私たちは自らの知識を活用し、組織を通じて成果をあげるようになった。私たちは、いわゆる知識労働者と言われる。
ドラッカーによれば、知識労働者が生産するもの、それは「物」ではなく、「アイディア」、「情報」、「コンセプト」だ、と言う。
「アイディア」、「情報」、「コンセプト」は、それだけでは役に立たず、成果をあげることはできない。専門化された知識は専門化されればされるほど、組織の成果全体の断片、塊に過ぎず単体で成果をあげることが難しくなる。
また、「貢献に責任をもつためには、自らの産出物すなわち知識の有用性に強い関心をもたなければならない」とドラッカーは言う。
言い換えるなら、『貢献に責任のある人間は、自らの産出物の有用性に強い関心をもつ人』だと言える。
したがって、貢献に責任をもつ人とは、自らの産出物たる断片、塊の有用性に関心を持ち、それを組織全体の成果に(どのように役立つか)正しく位置付けることができる人と言えるだろう。" https://yaplog.jp/happpykarate/archive/131
現代人である私たちは自らの知識を活用し、組織を通じて成果をあげるようになった。私たちは、いわゆる知識労働者と言われる。
ドラッカーによれば、知識労働者が生産するもの、それは「物」ではなく、「アイディア」、「情報」、「コンセプト」だ、と言う。
「アイディア」、「情報」、「コンセプト」は、それだけでは役に立たず、成果をあげることはできない。専門化された知識は専門化されればされるほど、組織の成果全体の断片、塊に過ぎず単体で成果をあげることが難しくなる。
また、「貢献に責任をもつためには、自らの産出物すなわち知識の有用性に強い関心をもたなければならない」とドラッカーは言う。
言い換えるなら、『貢献に責任のある人間は、自らの産出物の有用性に強い関心をもつ人』だと言える。
したがって、貢献に責任をもつ人とは、自らの産出物たる断片、塊の有用性に関心を持ち、それを組織全体の成果に(どのように役立つか)正しく位置付けることができる人と言えるだろう。" https://yaplog.jp/happpykarate/archive/131
2021年01月29日
No.3196プロフェッショナルの条件Part2#3貢献を重視する89F5【素人は専門家を理解するために努力すべきであるとしたり、専門家はごく少数の専門家仲間と話ができれば十分であるなどとすることは、野卑な傲慢である】P.F.ドラッカー連続投稿世界一 3,196日目(2021年1月29日)感謝!!
"ドラッカーは、「知識労働者が生産するのは物ではなく、アイデア、情報、コンセプトである」と言う。
つまり、これらは一つひとつはパーツである。自動車に例えるならタイヤやハンドル、ブレーキなど単体では役に立たない。
専門化された知識は全体の中に位置づけて、はじめて役立つ。専門知識と専門知識を束ねて(繋いで)成果に向けて組み立てたとき、はじめて役立つ。
そのため、専門家同志が通じ合っていれば良い、と言うようにはいかない。組織全体の成果に向けた働きが必要だ。
そのためには、全体の成果に貢献することに目を向けさせ、方向づけることが必要となる。
したがって、専門家は専門家と通じれば十分と言う訳にはいかない。組織の貢献に焦点を合わせることが必須となる。" https://yaplog.jp/happpykarate/archive/131
つまり、これらは一つひとつはパーツである。自動車に例えるならタイヤやハンドル、ブレーキなど単体では役に立たない。
専門化された知識は全体の中に位置づけて、はじめて役立つ。専門知識と専門知識を束ねて(繋いで)成果に向けて組み立てたとき、はじめて役立つ。
そのため、専門家同志が通じ合っていれば良い、と言うようにはいかない。組織全体の成果に向けた働きが必要だ。
そのためには、全体の成果に貢献することに目を向けさせ、方向づけることが必要となる。
したがって、専門家は専門家と通じれば十分と言う訳にはいかない。組織の貢献に焦点を合わせることが必須となる。" https://yaplog.jp/happpykarate/archive/131