ところが、恐怖が動機づけに成り得なくなったと言うことは、恐怖に代わる新たな動機づけが必要となった、と言うことを意味する。
そこで、ドラッカーが恐怖に代えてあげているのが、「責任」だ。この責任は、期待をかけ期待に応える「責任」と言っても良いかも知れない。
このように、人々を縛り付けていた「恐怖」と言う動機づけは、社会の豊かさと共に消えていった。しかし、恐怖の消滅は他の動機づけを必要とする、新たな課題を生んだ。この新たな課題に対し、ドラッカーは「責任」という動機づけをあげた。
さて、私たちは日々の仕事のなかで、この「責任」をどの程度全う出来ているものなのだろうか。ときどき、振り返って見たいものだ。"
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